Thursday, May 10, 2012

2006.7.1 - 2012.1.31 (Part 6)

過去5年半の体験を書いて来たこのシリーズ、とりあえず今回で一旦終りにしたく思います。おそらく書き洩らしたこともたくさんあるのですが、それらはまた折に振れ、思い出した時に書き足していこうと思います。また読まれた皆様からもしご質問等があればそれにもお答え(できる範囲で)したく思います。

ということで、今回は一応区切りを付けるべく、自分なりの「総括」を書き綴ってみようとおもいます。きれいに「オチ」のある話にはならないと思いますが…。

まず最初は会社を去った理由や事情から。これは「いい節目だったから」、と言うのが一番正しいと思いますが、さすがにそれはまとめ過ぎなので、もう少し背後事情を説明すれば、当社は製品化の際に、自社開発した新テストを中心に、心臓病に関わるあらゆる(血液検査でできる)診断テストを自社の検査ラボで、医師から送られくる血液サンプルを検査して結果を返す「心臓病専門の検査サービス」として提供するビジネスモデルを選択しました。こうなると会社で必要な人材も「スタートアップ」を立ち上げ、厳しい資源制約の下で売るモノを作って行ける「ビルダー」(パート2参照)よりも、(資金も含め)ある程度お膳立てが整った環境で出来たモノを売り、工場のように効率的にサービスを提供することにフォーカスした「マネジャー」型の人材が必要となってきます。しかもこの「診断サービス業界」の専門家としてキャリアを積み上げ、究めて行こう、というタイプがより望ましいわけです。

自分は決してそういう人材ではないので、製品のローンチとその後黒字化しキャッシュフローを生み出して自立できるまでの初期運転資金の調達ができたら(付記1)それを契機に、きれいに自分の仕事を引き継いでしてポジティブな形で去るべきなのだろうな、とは1年以上前から思っていました。また、この資金調達活動と並行して上に挙げたような「マネジャー」人材へのアクセスを含めた諸事情により会社自体もパロアルトは閉鎖し、南カリフォルニアはオレンジ郡に移転することになった(付記2)ので、自分らが立ち上げて来たものを解体し、新たな環境で違う形に再構成して新たなチームにバトンタッチした、と言っても良いでしょう。あんまり美化したくはないのですが「どうせなら他人によってではなく、自分で自分の仕事に幕を引くことにした」と言わせて下さい(笑)。むろんそれなりに交渉もして、それなりの形での退職となりましたが。

もっとも、上に書いたような会社と自分との「取引」的な事情とは別に、当社で5年半いる中でいろいろ成長した自分を自覚して、新しいところでより主導的な立場で本当に「自分のもの」と思える仕事ができないか試してみたくなった、という思いがあって、実はそちらの方がはるかに大きいものだったのも事実です。その場合でも「実績の区切り」をつけないといけないので、上のような事情と完全に切り離すこともできないのですが。

そんな会社と自分の思惑の交差した中で、昨年12月に3千万ドルの投資契約を調印し、今年の1月末に退職、となったわけです。「狡兎死して走狗煮らる」的状況であったといえばそうですが、それはある意味企業社会で働く上では避けがたいことであって、それをどれだけ自分の「次」に生かす形にするか、というのが勝負所なのでしょう。自分にしては良くやったな、とは謙遜でも自嘲でもなく思ってます(笑)。

ここで自分がこの5年半で何を得たのだろう、と考えてみると、まずいわゆる「ライフサイエンス業界」、その中でもいささか特殊なサブカテゴリである「診断テスト業界」固有の科学・ビジネスに関する知識や知見、ノウハウといったものは自分の仕事がファイナンスを核としたものであったためもあり「門前の小僧」の域には留まりはしなかったでしょうが、「それで飯が喰える」域には無論達しておりません。ただ「それで飯を食っている人々」の能力を会社全体のことを考えて活用する・会社の売り込みプレゼンテーション等の対外メッセージに「翻訳」する上で大事な「意味のある質問をする能力」の礎になるものは得たと思います。もっとも、自分としてはこの「翻訳能力」は当業界に限られない形で獲得した、ぐらいの自負はありますが。

自分の「担当分野」の一つの柱であった財務・会計・総務・労務・法務・IT・一般事務という「ビジネスオペレーション」については、これも各分野で「飯を喰っている」人にはお呼びもしないし、また大勢の専門家集団を部下として使って、という域には達しませんでしたがアウトソーシング業者を使いこなしつつ会社としてしなければいけない「経営上の判断」を各分野、あるいは複数の分野を横断する形で行えるレベルには至ったと思います。経営会議でこういった領域に話が及んだ際に全員が自分の方を向き、意見・判断を期待する、という立場で獲得したスキル、と言って良いでしょう。

そしてもう一つの柱であた資金調達に関しては、会社を代表して投資家へのストーリーテリングと売り込み、そして交渉をする、という機会は前回書いたようにCEOの仕事であったものの、そのCEOの役割と補完する「実務担当」という立場、言い換えれば投資契約調印と入金までを完遂する「執行者」としての能力は、かなり複雑な条件のついたものも含め、何度にも渡るファイナンシングを通じ総額7千万ドルを集めた、と成果を述べるに留めておきます。

上記はそれこそレジュメに書くような「経歴上の項目」と言っても良いと思いますが、そういった表面に出るものの背後には車のエンジンに相当する自分なりの「コア能力」があるわけです。それが何であるかについては、これから新しい機会を見つけ自分をそこに売り込んで行く際に、それぞれの環境で求められているものに合わせて「ピッチ(pitch)=売り込み」として示すものなのでその「次に狙うもの」が固まっていない現時点ではまだ荒削りなもの…というか、多面的なもののほんの一面に過ぎないのですが、「数字を通じたマネジメント」であるかと思っています。

上で「数字」というのは「ルールに乗っ取った記録と報告」を旨とする会計上のもの、あるいは会社としての活動を「管理」するものではなく、経営チームが会社として為すべきこと、そしてそのために必要な資源を明確に議論し、共有するための「共通言語」としての「数字」であると自分は思っています。ちょっと抽象的になってしまうのですが、こうした「共通言語としての数字」を会社として、あるいは創業チームとしてまだ混沌としたビジネスのイメージしかない段階か(「絶対的」なものとしてではなくあくまでも皆が理解できる)「明確な」形で導出し、会社としての(常時ウォッチし、機動的に変更し得るものではあるにせよ)資源配分や問題解決の際の行動指針として示し、また投資家や顧客、パートナーに示す「ストーリー」のバックボーンとする、という過程を推進する、そんな能力である、と考えています。そしてこの能力に「テクノロジーに対する強い好奇心」や「相手の期待以上のものを達成する(米人同僚にはお前は"undersell and overdeliver"だと言われますが)」、そしてこれまで様々な業界に仕事で関わって来たことに由来する「業際的コミュニケーションができる」といった要素が加わったもの、それが「自分」である、ということになるでしょうか。(付記3)

本当に公平な自己評価をしようと思ったら、ここ自分に欠けているものを挙げるべきなのでしょうが、それはきりが無いので経歴面で言えば「うまく行きっぱなしのまま成功に至った会社で働いた事が無い」ということだな、と言うに留めさせて下さい(笑)。

正直に言えば、この5年半で、会社としては入社した時には想像もつかなかったような状況を体験し、また自分の仕事でもこんなことまでするとは思ってもいなかったようなことを沢山したのですが、今になってみると「結構いろいろできる(ようになった)もんだ」と思えてしまうから不思議です。

といったところで、予告通りオチも何もありませんが、とりあえずここでこのシリーズ(だからいつから連載になった?)は一旦終わりとさせていただきます。とかくとっ散らかり気味な文章を毎回、ここまでお読み頂いた方にお礼申し上げたく思います。

最後になりますが、私はかの昔(10数年前)ビジネススクール卒業直後、最初の仕事をはじめる前に漠然と「これからやってみたい事」を三つ考えていました。

  • アメリカの永住権を取って、好きな仕事に就けるようになる
  • 日本や日本語とは無縁の仕事で自分なりの価値が出せるようになる
  • テクノロジーベースの起業に参加する

気がつけば三つとも(成否はともかく)実現したわけですが…

…さて、次は何をしようかな?


"Aut viam inveniam aut faciam."

  1. Part 1、Part 5で言及した2011年12月の投資。
  2. パロアルトの閉鎖に伴うスタッフの大半のレイオフも、各部門のヘッドと共に執行しました。経営レベルのスタッフ、研究開発スタッフのうち主要な数名はオレンジ郡に「通う(毎週のように出張)」という形、あるいは引っ越す、という形で残りました。
  3. こういう話をとあるVC(弊社とは無関係)にしたら"You're the inside guy"と(良い意味で、だそうです)言われました。「内向的」ではなく「内部をまとめる」、と訳すべきでしょうかね。

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