Saturday, March 10, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 1)

唐突ではありますが、2012年1月末をもちましてこの5年半勤めた会社を退職しました。

2006年7月に殆ど面接らしい面接もせずに4人目の社員、自分以外は皆創業メンバーと言ってもよい会社に入りスタンフォード大学医学部での実験結果の他にはとりあえず投資を受けたお金があるだけ、という状態で入り、そこからちょうど5年半。

そんな何もないところからパロアルトの町外れに会社としてのインフラを立ち上げ、人も雇い、また資金を調達し、そして実験結果が思う通りに出ず、結果製品コンセプトはおろかビジネスモデルの転換を数回行い、人は切り(あるいは去られ)投資家を説得して何とか資金を切らさぬようにし、削れるものはとことん削る、といった状況のまっただ中で過ごしてきました。そして昨年(2011年)早々にようやく売る事の出来るものが出来あがったわけですが、今度はそれを販売して行くための数千万ドル単位の拡張資金の調達に取り組み、紆余曲折を経た末に投資契約の調印に至ったのが12月。それから2ヶ月間事後処理と自分の仕事の引き継ぎをして1月末に自分と会社の「双方合意」で退職、となった訳です。

いささか乱暴ではありますが、この経験をいくつかのキーワードでまとめてしまえば「5年半、4千万ドル、CEO三人、会社は潰さず、新製品を核に事業化」ということになります。自分はそのまっただ中で、しかも結果的にではありますが会社全体を見渡す事の出来る、ファイナンスを含んだビジネスオペレーション面の責任者、という立場でCEOの副官的に仕事をしてきました。

その間、ブログでは料理の写真やレシピ、ワインの話そして映画の感想といった話ばかり書いて来たわけですが、裏(表?)ではこんなことに関わっておりました。飲み食い遊んでばかりいたわけではありません(笑)。

これを書いている時点で退職してから一ヶ月と少しがたったわけですが、目下「浪人」あるいは「充電期間」という状況です。ただ、以前Facebookでも書きましたが、5年半常に頭と身体のどこかが「会社モード」に入りっぱなしだったので一度放電し切らないと再充電できないかな、と思っております。ですので、正確に言えば今は「放電期間」というのが正しいかもしれません。

そんな状況ではありますが、この機会に、自分が5年半どっぷりと「シリコンバレーの会社作り屋」をやっている間についつい交流を疎かにしてしまった多くの人々、特にかつて私のブログを読んで頂いていた方々と、旧交を温める意味で、そして若干の謝罪も兼ねて、自分の「会社作り」経験とその過程で得た「学び」につきこれから何回かに分けてこのブログで共有したいと思っています。もちろん良識の範囲内で、守秘義務に従いつつ書きますので「生々しさ(生臭さ?)」にはいささか欠けるとは思いますが、どうかその点はご容赦を。退職前にCEOからはこういう形で書く事については口頭で許可を貰っております。

思ったよりこの前置き、長くなってしまいましたが、とりあえず今日はこの辺で。「不定期連載」になってしまうかと思いますが、皆様にまたおつきあい頂ければ何よりです。

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