Tuesday, June 5, 2012

Appendix - or Responses to Not Quite Frequently Asked Questions

3月10日の第1回目から5月10日の6回目まで、ちょうど2ヶ月かけて(延々と?)書き綴った先のシリーズですが、読まれた方々からぼつぼつと対面で、またはメールなどでフィードバックなどを頂いております。

やはり「初めて君が(この期間)どんな会社でどんな仕事していたかを知ることができた」がその多くを占めておりました。まさに不徳の至り…という感じですが、そういう意味では時間かけて書いた甲斐があったのかな、とも思っております。中にはこの期間中に知り合いになり、かなり親しくさせていただきながらもこのブログを読んで仕事面での正体を知らなかった(!)という方もおられたのはさすがに人付き合いのプロトコルから逸脱が過ぎたかな、と反省しております。そりゃそうですよね。それまで料理とかワイン、映画の話ばかりだったところにやれスタートアップがどうの心疾患がどうの、という話を延々と読まされたわけですから。

改めまして、この場を借りて不義理を果たしていた皆様にお詫び申し上げたく思います。

お詫びが済んだところで、今回は番外編というか補足説明というか、そういったフィードバックの中から出てきたご質問をいくつか取り上げてお答えしようと思います。もちろんこれ以降のフィードバックも歓迎ですので、何かあればぜひ。

【CFO?】

ファイナンス、資金調達の実行面での責任者であった、云々と書いたためだと思いますが「お仕事の中身で 言うとCFO (Chief Financial Officer = 最高財務責任者)への道を歩んでいたんではないですか?」あるいは「次のステップはCFOですか?」といった(考えてみればありがたい)質問をたびたび頂きました。場

まず事実関係から言えば、当社の場合様々な事情により、取締役会が任命する役職という意味、そして会社の財務活動や投資家への報告面の最終責任者、という正式な意味でのCFOは私の直属の上司であったCEO (Chief Executive Officer = 最高経営責任者)が兼任していました。一方、そうした活動・機能の実行・運営面はほぼ私の裁量下にあり会社の「家計簿とお財布を握っていた」のは私でしたので、肩書きと法的責任(無論、CEOに対する責任を通じて投資家・株主に対する責任はあるわけですが)なしにCFOの「機能を果たしていた」と言うのが正しいと思います。勤務中に事実上の(de facto)CFO、と言われた(おだてられた?)こともありますが、自分では主張できません(笑)。

ここでCEOやらCFOといった言葉が出てきたついでに、会社の(狭い意味での)経営最上層となるCEO、COO (Chief Operating Officer = 最高執行責任者)、CFO三者の役割について私なりの、少し乱暴な役割規定をさせていただきたいと思います。

CEO = 会社の価値と将来性を顧客、投資家、従業員、提携先といった会社の様々なステークホルダーに対し「売る(提示する)」と共に「売ったものに対する責任」を負う。ある意味トップセールスマンであると共に実現すべき、解決すべきものを提示するという意味で「問題提起」を担う。

COO = CEOが「売った」ものを実現すべく、具体的業務への落とし込み(役割と資源配分)と「遂行の責任」を負う。ハンズオンな姿勢が求められるトップ「トラブルシューター」であると共にCEOに提起された「問題解決」を担う。

CFO = CEOが売り、COOが実行しているものが会計報告基準やコンプライアンスといった「外から見たときの判断基準」に乗っ取って行われ、報告されているかを監督する「社外からの透明性の責任」を負う。上の流れに沿えば(些か語呂と座りが悪いですが)「解決評価」を担う。

これを以前何かの場で英語でまとめたものを自己引用させて頂ければ、
The CEO makes things happen, the COO gets things done, and the CFO makes sure what's done is legit.
ということになるでしょうか。legitはlegitimateを縮めた口語で「合法的」という意味です。

お断りするまでもないのでしょうけど、これは法律的・普遍的な規定ではもちろんなく、また当然ながら会社の置かれた業界や個別企業の発展段階といった状況の中でこの三者の役割が(多くは兼任という形で)入り交じったり、内容が異なってくるものであることは十分承知の上で、自分から、自分がこの先目指し得るものとして、これらの仕事がどう見えているか、を記したものだとお考え下さい。

上記に従って自分のやってきた仕事を振り返れば、CFOは前述したようにその「機能」を果たしていたのですが、実は仕事上の比重、それも単なる時間配分ではなく社内における「役立ち度合い(「バリュー」と言っても良いのでしょうが)」という意味では上記のCOO的な仕事がかなり高かったのだな、と思います。資金調達(上の規定で言えば、これはCFOではなくCEOの仕事)のためのビジネスストーリー作りにも携わった、ということではCEOの仕事の「下支え」もした、と言っても良いかもしれませんが、まあこれもCEOの求めるものを自分や同僚のあちこちの「引き出し」から引っ張り出してくる、という性質が強かったので、COO的な関わり方であったとも言えるでしょう。

ここで当初のご質問にお答えするとすれば、自分が目指し「得る」ものとすれば、僭越になることを畏れず言えば、あくまでも上のCEO/COO/CFOという枠内では「F(ファイナンス)の強く入ったCOO」的存在なのだと考えています。CFOという仕事は(他の2職と兼任していない場合は特に)昨今の起業や企業ガバナンスを取り巻く環境からすれば上にも書いたように「法規制遵守のお目付役」的性格が強いものとなっており「会社作り」の当事者としての関わり方はどうしても一歩引いたものになってしまうように見えているので、自分が「なりたいもの」としての訴求力が弱いかな、といったところです。ただ、「ファイナンス」のもう一面、それこそ6回目に書いた「数字を通じたマネジメント」はコアスキルであると認識している(そして、財務会計にも明るくないわけではないので)「Fの強く入った」と付け加えた次第です。

だいぶ回りくどい話だったかもしれませんが、こうした話は「自分が自分をどう思っているか」が「人が自分をどうみているか」とどうにかシンクロしないと行けないので外部からのインプット無しにこれ以上書く事は控えます(笑)。

【MBAは役に立つ?】

「MBA = Master of Business Administration(経営学修士)」を取った上でスタートアップで仕事をしていた人、ということで「MBAはそうした仕事につく上で役に立つのですか?」「お仕事でMBAで学んだ事は活かせましたか?」といったことも訊かれました。

最初のご質問について言えば、とりあえずMBAに行ってなければ当社に入ることに繋がった人との出会いも無かった(第4回参照)ので狭い意味でまさに「役に立った」のですが(笑)。スタートアップ、それも早い段階の会社にある程度経営に関わるポジションで入ろうというのであればこれはもう求人広告が出ている時点で十分大きくなった会社、なので、どうしてもこれから立ち上げよう、あるいは立ち上げたばかり、という会社に入ろうと思ったら人との繋がり、それも実際に何がしか利害の関わる場で築いた「仕事ぶりに対する信頼感」がある程度担保された人間関係のツテを経由して、ということになると思います。

自分が入社した時に面接相手の一人であった元同僚(創業チームの一人)と先日話す機会があったのですが「あの時はどういう基準で(自分を)雇ったんだ?」と訊いたところ「会社として何も整ってないカオスの中で一緒に会社作ってこうという人を雇うって時にチームの誰かが『こいつは使える、信用できる』と言って連れてきた人なら、スキル等はあるものとみなした上で話して『こいつとは働ける』と思ったから」という答えを貰いました。(現在は「戦友」とも言える仲間なので多少発言を割り引く必要もあるかもしれませんが)確かに、会社としての基盤がある程度固まった段階であれば「会社として必要な具体的スキルと経験」の有無を基準に雇うこともできますが、ごく初期であればもう経験はあることが前提、それこそ自分を推薦・紹介をする人の信用ベースで、「共に何かを作って行ける相手か」という判断基準しかないのかもな、と思います。

そういう「A. プロとして信頼を得ている人との人間関係」と「B. 共に何かを作っていけるような相手と思って貰える力」というのは、私の場合、当社の場合はA.はどうしてもMBAとは切り離せないので判断は控えるとして、B.についてはMBAという学位以上にその後のスタートアップも含む職歴(これまた第4回参照)の中で培った環境適応力、分析・判断力、そしてコミュニケーション能力が渾然一体となったものに由来していると思います。言い換えれば、MBAを出た時点で当社で自分の手がけて来た仕事に関する「知識」をもし全て備えていて、しかも当社で働いていたようなポジションに就く幸運がもしあったとしても同じ「仕事ぶり」は発揮できなかったでしょう。これはあくまでも「自分」のことで、世の中にはそういう仕事が卒業後すぐできてしまう(あるいは「できてしまった」)人もいるのでしょうけど、という但し書き付きですが。

後段の「仕事でMBAでの勉強が活かせたか」については、私の場合は2年間とても優れたビジネスパーソン・リーダー・そして「人間達」であった同級生と共に学んだ総体的経験は「アメリカで仕事をするためのコミュニケーション能力」が得られた、という意味ではそれこそ卒業後いきなり渡米前の仕事とは全く無縁の仕事に就くため、そして就いた後も「活きた」とは思います。「ファイナンス」、「会計・財務」、「マーケティング」、「戦略」、そして(起業家を招いたケースディスカッション、という形で行われた)「起業論」といった個別教科の「知識・スキル・ノウハウ」といった「職能的知識」については、学校で教わった事は入り口でしかなくて、その後の実務を通じてもう一度痛い目に逢いつつも再学習したような気がします。

MBAでの勉強が役立つか、という話とは直接関係ないかもしれませんが、面白いもので実際に会社の立ち上げ・経営の「現場仕事」に身を置いてみると、役に立つのは日本での駆け出し銀行員時代にそれこそ身体で覚えた「接客能力」、「なだめ・すかし・おだての使い分け」、「組織観察力」、「組織のキーパーソンを嗅ぎ分ける力」、「組織の利害や垣根を越えた話ができる力」そして「根回し(これは日本特有のものだとは思わないですが)」といった究めてソフトなスキルが活きていたと思います。

振り返ってみると、自分の場合はビジネスパーソンとしてのオペレーティングシステムは社会人当初の銀行員体験でインストールされたもので、その上にMBAやその後の職歴で身につけたユーザーインターフェースやらアプリケーション(こうした喩えも、もはや古くさい感じがしますが、それはご愛嬌ということで)を使って仕事をしてきた、ということになるのでしょう。

このように書いてしまうと、自分の辿って来た道筋は能力形成やキャリア構築のスピード、といった観点からは迂遠かつ決して効率的では無いな、と自覚すると共に「自分のやりたいこと」が明確で、それに必要な能力獲得に向けた戦略的かつ最短距離のキャリアパスを走って来た・走っている方々が少々羨ましくもあったりするのですが、まあ自己批判・自己否定するほどのこともないな、とも思っていますので「自分はこうしたけど、人にはおすすめしません」と言うぐらいに止めておきましょう(笑)。

果たしてご質問に答えているかどうか怪しくなってきましたが(笑)、第4回目で書いたように「(世間に名の知れた)ビジネススクール出てるし…」というのがちょっとした「安心感」を与えることは決して否定するものではありませんが(あとビザの必要な立場であれば「学位」は当然ものを言うのですが、それは措いといて)、「MBAは狩猟ライセンスみたいなもので、狩りはできるようになるけど、獲物を得られるかどうかは本人次第」と考えておくのが良い、と思います。

【Now What? (次は?)】

第6回の最後で「MBAを取った時点でやってみたかったことは一応実現できた」と書いたのですが、それに対し「達成してどんな気分ですか?」と訊かれました。また他の人からは「次は何をされるんですか?」(これには「いつまでぶらぶらしてる気なんですか?」という趣意も入っていると解釈しております…笑)とも訊かれました。この二つの質問は不可分のものだと思うので、同時にお答えしたく思います。但し、現時点ではまだ皆さんと明快に共有できるところまで至っておりませんので、書き方がいささか抽象的になる、という点はご了解下さい。

まず先のご質問にお答えするとすれば、それほど凄い事をしたわけでもなく、また何がしか「ゴールイン」したわけでもないので、達成感・満足感ではなく障害物競走を一つ終えて、また何か、違う競技のスタートラインに立ったような感覚、といったところでしょうか。そして、そういう目標を掲げた自分のそもそものモチベーションは何だったのだろうか、と振り返ってもいます。

とりあえずいろいろくぐり抜けて来たわけなので自分に「何ができる」という自信は多少はあるものの(ここまでの6回の文章を書いたのもその整理過程、と思っています)、じゃあ今度は種類の違う競技にその「できること」がどう活きてくるのか、いや活かしたいのか、といったことを考えている、と言うのでしょうか。全く同じ競技に再挑戦して記録の向上を狙う、というのも選択肢なのでしょうけど、それはしたくないな、というのが正直なところです。従って、「次に何をする」については長年温めていたものがあるわけでもなし、あまり自分を狭く規定する事なしに興味の赴くことをあれこれ追いかけている、と言うに止めておきます。そのための「放電→充電期間」、ということで(笑)。

でも、どんな方向に向かうにせよ、このようにブログを書いていて思ったのですが、ソーシャルメディアを通じて「語る」要素を持ったものにしたいな、ということは一つはっきりしております。

そしてまた、どんなに自分で考えていたことでも「人との出会い」によって思いもよらぬ方向に展開することもある、という可能性は常に否定せぬようにしたく思います。




"Aut viam inveniam aut faciam. (I will either find a way or make one.)"

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