Tuesday, June 5, 2012

Appendix - or Responses to Not Quite Frequently Asked Questions

3月10日の第1回目から5月10日の6回目まで、ちょうど2ヶ月かけて(延々と?)書き綴った先のシリーズですが、読まれた方々からぼつぼつと対面で、またはメールなどでフィードバックなどを頂いております。

やはり「初めて君が(この期間)どんな会社でどんな仕事していたかを知ることができた」がその多くを占めておりました。まさに不徳の至り…という感じですが、そういう意味では時間かけて書いた甲斐があったのかな、とも思っております。中にはこの期間中に知り合いになり、かなり親しくさせていただきながらもこのブログを読んで仕事面での正体を知らなかった(!)という方もおられたのはさすがに人付き合いのプロトコルから逸脱が過ぎたかな、と反省しております。そりゃそうですよね。それまで料理とかワイン、映画の話ばかりだったところにやれスタートアップがどうの心疾患がどうの、という話を延々と読まされたわけですから。

改めまして、この場を借りて不義理を果たしていた皆様にお詫び申し上げたく思います。

お詫びが済んだところで、今回は番外編というか補足説明というか、そういったフィードバックの中から出てきたご質問をいくつか取り上げてお答えしようと思います。もちろんこれ以降のフィードバックも歓迎ですので、何かあればぜひ。

【CFO?】

ファイナンス、資金調達の実行面での責任者であった、云々と書いたためだと思いますが「お仕事の中身で 言うとCFO (Chief Financial Officer = 最高財務責任者)への道を歩んでいたんではないですか?」あるいは「次のステップはCFOですか?」といった(考えてみればありがたい)質問をたびたび頂きました。場

まず事実関係から言えば、当社の場合様々な事情により、取締役会が任命する役職という意味、そして会社の財務活動や投資家への報告面の最終責任者、という正式な意味でのCFOは私の直属の上司であったCEO (Chief Executive Officer = 最高経営責任者)が兼任していました。一方、そうした活動・機能の実行・運営面はほぼ私の裁量下にあり会社の「家計簿とお財布を握っていた」のは私でしたので、肩書きと法的責任(無論、CEOに対する責任を通じて投資家・株主に対する責任はあるわけですが)なしにCFOの「機能を果たしていた」と言うのが正しいと思います。勤務中に事実上の(de facto)CFO、と言われた(おだてられた?)こともありますが、自分では主張できません(笑)。

ここでCEOやらCFOといった言葉が出てきたついでに、会社の(狭い意味での)経営最上層となるCEO、COO (Chief Operating Officer = 最高執行責任者)、CFO三者の役割について私なりの、少し乱暴な役割規定をさせていただきたいと思います。

CEO = 会社の価値と将来性を顧客、投資家、従業員、提携先といった会社の様々なステークホルダーに対し「売る(提示する)」と共に「売ったものに対する責任」を負う。ある意味トップセールスマンであると共に実現すべき、解決すべきものを提示するという意味で「問題提起」を担う。

COO = CEOが「売った」ものを実現すべく、具体的業務への落とし込み(役割と資源配分)と「遂行の責任」を負う。ハンズオンな姿勢が求められるトップ「トラブルシューター」であると共にCEOに提起された「問題解決」を担う。

CFO = CEOが売り、COOが実行しているものが会計報告基準やコンプライアンスといった「外から見たときの判断基準」に乗っ取って行われ、報告されているかを監督する「社外からの透明性の責任」を負う。上の流れに沿えば(些か語呂と座りが悪いですが)「解決評価」を担う。

これを以前何かの場で英語でまとめたものを自己引用させて頂ければ、
The CEO makes things happen, the COO gets things done, and the CFO makes sure what's done is legit.
ということになるでしょうか。legitはlegitimateを縮めた口語で「合法的」という意味です。

お断りするまでもないのでしょうけど、これは法律的・普遍的な規定ではもちろんなく、また当然ながら会社の置かれた業界や個別企業の発展段階といった状況の中でこの三者の役割が(多くは兼任という形で)入り交じったり、内容が異なってくるものであることは十分承知の上で、自分から、自分がこの先目指し得るものとして、これらの仕事がどう見えているか、を記したものだとお考え下さい。

上記に従って自分のやってきた仕事を振り返れば、CFOは前述したようにその「機能」を果たしていたのですが、実は仕事上の比重、それも単なる時間配分ではなく社内における「役立ち度合い(「バリュー」と言っても良いのでしょうが)」という意味では上記のCOO的な仕事がかなり高かったのだな、と思います。資金調達(上の規定で言えば、これはCFOではなくCEOの仕事)のためのビジネスストーリー作りにも携わった、ということではCEOの仕事の「下支え」もした、と言っても良いかもしれませんが、まあこれもCEOの求めるものを自分や同僚のあちこちの「引き出し」から引っ張り出してくる、という性質が強かったので、COO的な関わり方であったとも言えるでしょう。

ここで当初のご質問にお答えするとすれば、自分が目指し「得る」ものとすれば、僭越になることを畏れず言えば、あくまでも上のCEO/COO/CFOという枠内では「F(ファイナンス)の強く入ったCOO」的存在なのだと考えています。CFOという仕事は(他の2職と兼任していない場合は特に)昨今の起業や企業ガバナンスを取り巻く環境からすれば上にも書いたように「法規制遵守のお目付役」的性格が強いものとなっており「会社作り」の当事者としての関わり方はどうしても一歩引いたものになってしまうように見えているので、自分が「なりたいもの」としての訴求力が弱いかな、といったところです。ただ、「ファイナンス」のもう一面、それこそ6回目に書いた「数字を通じたマネジメント」はコアスキルであると認識している(そして、財務会計にも明るくないわけではないので)「Fの強く入った」と付け加えた次第です。

だいぶ回りくどい話だったかもしれませんが、こうした話は「自分が自分をどう思っているか」が「人が自分をどうみているか」とどうにかシンクロしないと行けないので外部からのインプット無しにこれ以上書く事は控えます(笑)。

【MBAは役に立つ?】

「MBA = Master of Business Administration(経営学修士)」を取った上でスタートアップで仕事をしていた人、ということで「MBAはそうした仕事につく上で役に立つのですか?」「お仕事でMBAで学んだ事は活かせましたか?」といったことも訊かれました。

最初のご質問について言えば、とりあえずMBAに行ってなければ当社に入ることに繋がった人との出会いも無かった(第4回参照)ので狭い意味でまさに「役に立った」のですが(笑)。スタートアップ、それも早い段階の会社にある程度経営に関わるポジションで入ろうというのであればこれはもう求人広告が出ている時点で十分大きくなった会社、なので、どうしてもこれから立ち上げよう、あるいは立ち上げたばかり、という会社に入ろうと思ったら人との繋がり、それも実際に何がしか利害の関わる場で築いた「仕事ぶりに対する信頼感」がある程度担保された人間関係のツテを経由して、ということになると思います。

自分が入社した時に面接相手の一人であった元同僚(創業チームの一人)と先日話す機会があったのですが「あの時はどういう基準で(自分を)雇ったんだ?」と訊いたところ「会社として何も整ってないカオスの中で一緒に会社作ってこうという人を雇うって時にチームの誰かが『こいつは使える、信用できる』と言って連れてきた人なら、スキル等はあるものとみなした上で話して『こいつとは働ける』と思ったから」という答えを貰いました。(現在は「戦友」とも言える仲間なので多少発言を割り引く必要もあるかもしれませんが)確かに、会社としての基盤がある程度固まった段階であれば「会社として必要な具体的スキルと経験」の有無を基準に雇うこともできますが、ごく初期であればもう経験はあることが前提、それこそ自分を推薦・紹介をする人の信用ベースで、「共に何かを作って行ける相手か」という判断基準しかないのかもな、と思います。

そういう「A. プロとして信頼を得ている人との人間関係」と「B. 共に何かを作っていけるような相手と思って貰える力」というのは、私の場合、当社の場合はA.はどうしてもMBAとは切り離せないので判断は控えるとして、B.についてはMBAという学位以上にその後のスタートアップも含む職歴(これまた第4回参照)の中で培った環境適応力、分析・判断力、そしてコミュニケーション能力が渾然一体となったものに由来していると思います。言い換えれば、MBAを出た時点で当社で自分の手がけて来た仕事に関する「知識」をもし全て備えていて、しかも当社で働いていたようなポジションに就く幸運がもしあったとしても同じ「仕事ぶり」は発揮できなかったでしょう。これはあくまでも「自分」のことで、世の中にはそういう仕事が卒業後すぐできてしまう(あるいは「できてしまった」)人もいるのでしょうけど、という但し書き付きですが。

後段の「仕事でMBAでの勉強が活かせたか」については、私の場合は2年間とても優れたビジネスパーソン・リーダー・そして「人間達」であった同級生と共に学んだ総体的経験は「アメリカで仕事をするためのコミュニケーション能力」が得られた、という意味ではそれこそ卒業後いきなり渡米前の仕事とは全く無縁の仕事に就くため、そして就いた後も「活きた」とは思います。「ファイナンス」、「会計・財務」、「マーケティング」、「戦略」、そして(起業家を招いたケースディスカッション、という形で行われた)「起業論」といった個別教科の「知識・スキル・ノウハウ」といった「職能的知識」については、学校で教わった事は入り口でしかなくて、その後の実務を通じてもう一度痛い目に逢いつつも再学習したような気がします。

MBAでの勉強が役立つか、という話とは直接関係ないかもしれませんが、面白いもので実際に会社の立ち上げ・経営の「現場仕事」に身を置いてみると、役に立つのは日本での駆け出し銀行員時代にそれこそ身体で覚えた「接客能力」、「なだめ・すかし・おだての使い分け」、「組織観察力」、「組織のキーパーソンを嗅ぎ分ける力」、「組織の利害や垣根を越えた話ができる力」そして「根回し(これは日本特有のものだとは思わないですが)」といった究めてソフトなスキルが活きていたと思います。

振り返ってみると、自分の場合はビジネスパーソンとしてのオペレーティングシステムは社会人当初の銀行員体験でインストールされたもので、その上にMBAやその後の職歴で身につけたユーザーインターフェースやらアプリケーション(こうした喩えも、もはや古くさい感じがしますが、それはご愛嬌ということで)を使って仕事をしてきた、ということになるのでしょう。

このように書いてしまうと、自分の辿って来た道筋は能力形成やキャリア構築のスピード、といった観点からは迂遠かつ決して効率的では無いな、と自覚すると共に「自分のやりたいこと」が明確で、それに必要な能力獲得に向けた戦略的かつ最短距離のキャリアパスを走って来た・走っている方々が少々羨ましくもあったりするのですが、まあ自己批判・自己否定するほどのこともないな、とも思っていますので「自分はこうしたけど、人にはおすすめしません」と言うぐらいに止めておきましょう(笑)。

果たしてご質問に答えているかどうか怪しくなってきましたが(笑)、第4回目で書いたように「(世間に名の知れた)ビジネススクール出てるし…」というのがちょっとした「安心感」を与えることは決して否定するものではありませんが(あとビザの必要な立場であれば「学位」は当然ものを言うのですが、それは措いといて)、「MBAは狩猟ライセンスみたいなもので、狩りはできるようになるけど、獲物を得られるかどうかは本人次第」と考えておくのが良い、と思います。

【Now What? (次は?)】

第6回の最後で「MBAを取った時点でやってみたかったことは一応実現できた」と書いたのですが、それに対し「達成してどんな気分ですか?」と訊かれました。また他の人からは「次は何をされるんですか?」(これには「いつまでぶらぶらしてる気なんですか?」という趣意も入っていると解釈しております…笑)とも訊かれました。この二つの質問は不可分のものだと思うので、同時にお答えしたく思います。但し、現時点ではまだ皆さんと明快に共有できるところまで至っておりませんので、書き方がいささか抽象的になる、という点はご了解下さい。

まず先のご質問にお答えするとすれば、それほど凄い事をしたわけでもなく、また何がしか「ゴールイン」したわけでもないので、達成感・満足感ではなく障害物競走を一つ終えて、また何か、違う競技のスタートラインに立ったような感覚、といったところでしょうか。そして、そういう目標を掲げた自分のそもそものモチベーションは何だったのだろうか、と振り返ってもいます。

とりあえずいろいろくぐり抜けて来たわけなので自分に「何ができる」という自信は多少はあるものの(ここまでの6回の文章を書いたのもその整理過程、と思っています)、じゃあ今度は種類の違う競技にその「できること」がどう活きてくるのか、いや活かしたいのか、といったことを考えている、と言うのでしょうか。全く同じ競技に再挑戦して記録の向上を狙う、というのも選択肢なのでしょうけど、それはしたくないな、というのが正直なところです。従って、「次に何をする」については長年温めていたものがあるわけでもなし、あまり自分を狭く規定する事なしに興味の赴くことをあれこれ追いかけている、と言うに止めておきます。そのための「放電→充電期間」、ということで(笑)。

でも、どんな方向に向かうにせよ、このようにブログを書いていて思ったのですが、ソーシャルメディアを通じて「語る」要素を持ったものにしたいな、ということは一つはっきりしております。

そしてまた、どんなに自分で考えていたことでも「人との出会い」によって思いもよらぬ方向に展開することもある、という可能性は常に否定せぬようにしたく思います。




"Aut viam inveniam aut faciam. (I will either find a way or make one.)"

Thursday, May 10, 2012

2006.7.1 - 2012.1.31 (Part 6)

過去5年半の体験を書いて来たこのシリーズ、とりあえず今回で一旦終りにしたく思います。おそらく書き洩らしたこともたくさんあるのですが、それらはまた折に振れ、思い出した時に書き足していこうと思います。また読まれた皆様からもしご質問等があればそれにもお答え(できる範囲で)したく思います。

ということで、今回は一応区切りを付けるべく、自分なりの「総括」を書き綴ってみようとおもいます。きれいに「オチ」のある話にはならないと思いますが…。

まず最初は会社を去った理由や事情から。これは「いい節目だったから」、と言うのが一番正しいと思いますが、さすがにそれはまとめ過ぎなので、もう少し背後事情を説明すれば、当社は製品化の際に、自社開発した新テストを中心に、心臓病に関わるあらゆる(血液検査でできる)診断テストを自社の検査ラボで、医師から送られくる血液サンプルを検査して結果を返す「心臓病専門の検査サービス」として提供するビジネスモデルを選択しました。こうなると会社で必要な人材も「スタートアップ」を立ち上げ、厳しい資源制約の下で売るモノを作って行ける「ビルダー」(パート2参照)よりも、(資金も含め)ある程度お膳立てが整った環境で出来たモノを売り、工場のように効率的にサービスを提供することにフォーカスした「マネジャー」型の人材が必要となってきます。しかもこの「診断サービス業界」の専門家としてキャリアを積み上げ、究めて行こう、というタイプがより望ましいわけです。

自分は決してそういう人材ではないので、製品のローンチとその後黒字化しキャッシュフローを生み出して自立できるまでの初期運転資金の調達ができたら(付記1)それを契機に、きれいに自分の仕事を引き継いでしてポジティブな形で去るべきなのだろうな、とは1年以上前から思っていました。また、この資金調達活動と並行して上に挙げたような「マネジャー」人材へのアクセスを含めた諸事情により会社自体もパロアルトは閉鎖し、南カリフォルニアはオレンジ郡に移転することになった(付記2)ので、自分らが立ち上げて来たものを解体し、新たな環境で違う形に再構成して新たなチームにバトンタッチした、と言っても良いでしょう。あんまり美化したくはないのですが「どうせなら他人によってではなく、自分で自分の仕事に幕を引くことにした」と言わせて下さい(笑)。むろんそれなりに交渉もして、それなりの形での退職となりましたが。

もっとも、上に書いたような会社と自分との「取引」的な事情とは別に、当社で5年半いる中でいろいろ成長した自分を自覚して、新しいところでより主導的な立場で本当に「自分のもの」と思える仕事ができないか試してみたくなった、という思いがあって、実はそちらの方がはるかに大きいものだったのも事実です。その場合でも「実績の区切り」をつけないといけないので、上のような事情と完全に切り離すこともできないのですが。

そんな会社と自分の思惑の交差した中で、昨年12月に3千万ドルの投資契約を調印し、今年の1月末に退職、となったわけです。「狡兎死して走狗煮らる」的状況であったといえばそうですが、それはある意味企業社会で働く上では避けがたいことであって、それをどれだけ自分の「次」に生かす形にするか、というのが勝負所なのでしょう。自分にしては良くやったな、とは謙遜でも自嘲でもなく思ってます(笑)。

ここで自分がこの5年半で何を得たのだろう、と考えてみると、まずいわゆる「ライフサイエンス業界」、その中でもいささか特殊なサブカテゴリである「診断テスト業界」固有の科学・ビジネスに関する知識や知見、ノウハウといったものは自分の仕事がファイナンスを核としたものであったためもあり「門前の小僧」の域には留まりはしなかったでしょうが、「それで飯が喰える」域には無論達しておりません。ただ「それで飯を食っている人々」の能力を会社全体のことを考えて活用する・会社の売り込みプレゼンテーション等の対外メッセージに「翻訳」する上で大事な「意味のある質問をする能力」の礎になるものは得たと思います。もっとも、自分としてはこの「翻訳能力」は当業界に限られない形で獲得した、ぐらいの自負はありますが。

自分の「担当分野」の一つの柱であった財務・会計・総務・労務・法務・IT・一般事務という「ビジネスオペレーション」については、これも各分野で「飯を喰っている」人にはお呼びもしないし、また大勢の専門家集団を部下として使って、という域には達しませんでしたがアウトソーシング業者を使いこなしつつ会社としてしなければいけない「経営上の判断」を各分野、あるいは複数の分野を横断する形で行えるレベルには至ったと思います。経営会議でこういった領域に話が及んだ際に全員が自分の方を向き、意見・判断を期待する、という立場で獲得したスキル、と言って良いでしょう。

そしてもう一つの柱であた資金調達に関しては、会社を代表して投資家へのストーリーテリングと売り込み、そして交渉をする、という機会は前回書いたようにCEOの仕事であったものの、そのCEOの役割と補完する「実務担当」という立場、言い換えれば投資契約調印と入金までを完遂する「執行者」としての能力は、かなり複雑な条件のついたものも含め、何度にも渡るファイナンシングを通じ総額7千万ドルを集めた、と成果を述べるに留めておきます。

上記はそれこそレジュメに書くような「経歴上の項目」と言っても良いと思いますが、そういった表面に出るものの背後には車のエンジンに相当する自分なりの「コア能力」があるわけです。それが何であるかについては、これから新しい機会を見つけ自分をそこに売り込んで行く際に、それぞれの環境で求められているものに合わせて「ピッチ(pitch)=売り込み」として示すものなのでその「次に狙うもの」が固まっていない現時点ではまだ荒削りなもの…というか、多面的なもののほんの一面に過ぎないのですが、「数字を通じたマネジメント」であるかと思っています。

上で「数字」というのは「ルールに乗っ取った記録と報告」を旨とする会計上のもの、あるいは会社としての活動を「管理」するものではなく、経営チームが会社として為すべきこと、そしてそのために必要な資源を明確に議論し、共有するための「共通言語」としての「数字」であると自分は思っています。ちょっと抽象的になってしまうのですが、こうした「共通言語としての数字」を会社として、あるいは創業チームとしてまだ混沌としたビジネスのイメージしかない段階か(「絶対的」なものとしてではなくあくまでも皆が理解できる)「明確な」形で導出し、会社としての(常時ウォッチし、機動的に変更し得るものではあるにせよ)資源配分や問題解決の際の行動指針として示し、また投資家や顧客、パートナーに示す「ストーリー」のバックボーンとする、という過程を推進する、そんな能力である、と考えています。そしてこの能力に「テクノロジーに対する強い好奇心」や「相手の期待以上のものを達成する(米人同僚にはお前は"undersell and overdeliver"だと言われますが)」、そしてこれまで様々な業界に仕事で関わって来たことに由来する「業際的コミュニケーションができる」といった要素が加わったもの、それが「自分」である、ということになるでしょうか。(付記3)

本当に公平な自己評価をしようと思ったら、ここ自分に欠けているものを挙げるべきなのでしょうが、それはきりが無いので経歴面で言えば「うまく行きっぱなしのまま成功に至った会社で働いた事が無い」ということだな、と言うに留めさせて下さい(笑)。

正直に言えば、この5年半で、会社としては入社した時には想像もつかなかったような状況を体験し、また自分の仕事でもこんなことまでするとは思ってもいなかったようなことを沢山したのですが、今になってみると「結構いろいろできる(ようになった)もんだ」と思えてしまうから不思議です。

といったところで、予告通りオチも何もありませんが、とりあえずここでこのシリーズ(だからいつから連載になった?)は一旦終わりとさせていただきます。とかくとっ散らかり気味な文章を毎回、ここまでお読み頂いた方にお礼申し上げたく思います。

最後になりますが、私はかの昔(10数年前)ビジネススクール卒業直後、最初の仕事をはじめる前に漠然と「これからやってみたい事」を三つ考えていました。

  • アメリカの永住権を取って、好きな仕事に就けるようになる
  • 日本や日本語とは無縁の仕事で自分なりの価値が出せるようになる
  • テクノロジーベースの起業に参加する

気がつけば三つとも(成否はともかく)実現したわけですが…

…さて、次は何をしようかな?


"Aut viam inveniam aut faciam."

  1. Part 1、Part 5で言及した2011年12月の投資。
  2. パロアルトの閉鎖に伴うスタッフの大半のレイオフも、各部門のヘッドと共に執行しました。経営レベルのスタッフ、研究開発スタッフのうち主要な数名はオレンジ郡に「通う(毎週のように出張)」という形、あるいは引っ越す、という形で残りました。
  3. こういう話をとあるVC(弊社とは無関係)にしたら"You're the inside guy"と(良い意味で、だそうです)言われました。「内向的」ではなく「内部をまとめる」、と訳すべきでしょうかね。

Tuesday, April 24, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 5)

前回は入社した経緯について書かせていただきましたが、今回は入社後自分の仕事がどう変化していったかについて書こうと思います。

今回はiPad+Bluetoothキーボードという組み合わせで某コーヒー屋で下書きをし、Dropboxを経由してラップトップからブログに上げる、という作業フローでお送りしております。ラップトップを持ち歩くのが鬱陶しくなった、という以上に深い意図はありませんが。【結果的に、下書きはラップトップ上で原型を留めぬまで編集されました…別にそれはiPadの所為ではありませんが】

前回書いたように「裏方の長」といった立場で入社したわけですが、その時点では法的な会社設立とスタンフォードでの実験結果をふまえた資金調達は済んでいるものの、創業者と自分を含めた4名の社員、そして正社員になる予定の「コンサルタント」が2〜3人いるだけで会社として活動する環境やインフラは何も無い、という状態でした。実験機材やITインフラはおろか、机も椅子も、会計システムも、従業員に給料を支払い、福利厚生等を提供する仕掛けもありませんでした。Eメールが使え、最低限のIT機材の注文、ごく基本的(=自社の要件に合わせた改造が必要)な設備のある実験室付きオフィスの契約が済んでいただけ、だったと覚えています。

私の最初の仕事はそんな「何も無い」状態から会社としてつつがなく機能できるように施設・実験設備はもちろん、財務・会計・総務・労務・法務・IT・一般事務という会社の基礎機能全てにわたる「ビジネスオペレーション」を立ち上げる、というものでした。

こうした立ち上げの仕事はそれまで部分的に携わったこともあり、また門前の小僧的に聞きかじった知識があったりもしたのですが、会社の基礎機能全般の立ち上げを同時進行で、しかも責任者として遂行したことはありませんでした。もちろん全ての機能を自社内部に持つことはせず(=フルタイムの担当社員は規模が大きくなって費用に見合うまで雇うことはしない)、専門の代行業者を可能な限り使ったのですが、いくらそういった「アウトソーシング」を進めたとしても「丸投げしっぱなし」ということはまずできず、それら業者を監督すると共にイレギュラー事項を解決する「社内窓口」がどうしても必要でしたので、業者を一通り選んだ後はその役割を務めていました。オフィス総務や経理担当の社員を雇った後も会社として様々な紆余曲折を経るなかでどうしても「経営的配慮・判断」が求められるケースが耐えなかったので、結局最後までそういった仕事の「責任者」を務めていたことになります。

しかしながら、時間がたつにつれこのビジネスオペレーションの立ち上げ+運営という仕事、セットアップが一巡した後は(当然と言えば当然ですが)自分の仕事に占める比重はだんだんと下がって行きました。しかしながらここで「比重が下がった」というのは「かける時間が減った」という意味ではなく(慣れにより多少減ったのは事実ですが)自分の評価項目としての重要性が下がった、ということです。そして「立ち上げ+運営」の代わりに比重が高まってきたのが「CEOの経営執行補佐と資金調達の実務」という仕事でした。

当社は第一回目でも書いたように自分が退職するまでに3人のCEOが交代・就任したわけですが、また一方では自分が入社した時の経営陣も自分を引っ張ってくれた同級生を含め、様々な理由で会社から離れていき、結果として創業当初からずっといる経営チームのメンバー(当初はその端くれでしかなかったので、なんだか面映いですが)は自分とバイオインフォマティックス担当のVPの二人だけとなり、COOのポジションも無くなって自分もCEO直属になっている、という状態でした。

勤続年数や年功序列といったものとは全く無縁のスタートアップですので、そうやって「残っている」だけで自分の立場が上がるということはもちろん無ありません。当初の肩書に記された「財務・会計(ファイナンス)」と「ビジネスオペレーション」という事務方という二分野の仕事の「責任者・担当者」、という「経営チームの端くれ」から「CEOの補佐役+資金調達」という経営トップのすぐ近くで仕事ができるようになったのは、それら二つの担当業務が徐々に「経営者」としての視点を求められるものへと変質し、それに伴って会社への貢献度を上げる事ができたからだと思います。

まず「ファイナンス」分野においては、会社の資本構成表(付記1)と事業・資金計画モデル(付記2、以下「事業モデル」とします)の作成と管理、投資家への計画値と実績値の比較報告、そしてそれらを使った分析、という仕事を割と早い段階から任されていました。事業計画の修正が資金ニーズにどう影響するか、資金調達時の評価額などの条件が資本構成にどう影響するか、といった分析です。いわゆる「財務会計」が「経営活動記録と報告のファイナンス」であるとすれば、こうした仕事は「経営判断の情報源としてのファイナンス」とでも呼ぶべきもの(付記3)です。

そして「ビジネスオペレーション」の分野では、二ヶ月に一度といったペースで定期開催される取締役会での説明資料、そして資金調達を目的としたビジネスプラン・プレゼンテーション作り(付記4)を取りまとめる「対外コミュニケーション」の担当とでも言うべき仕事をだんだんと自分のものにしていきました。ここで「取りまとめ」とは書きましたが、各部門のヘッドが自分の担当分野について作ってくる「部署別」のページを一つのパワーポイントにまとめて見てくれを統一する、という受身姿勢の仕事で済むことはまずなく、とかく「部門の視点」で作られがちな資料を会社の最高責任者であるCEOの示す「取締役会で優先的にディスカッションしたいトピック」や「会社として伝えたいメッセージ・ストーリー」に嵌るよう編集するのみならず、担当者に「こういう資料が欲しい」と指示を出し、共同作業で欲しいものを作る、といったこともほぼ毎回行っていました。

こうした「経営判断のファイナンス」の仕事、そして「対外コミュニケーション」の仕事をして行く中で、ある時は経営モデルに入れる数字の一つ一つにつき議論し、またある時は専門的な医学上・科学上の話から「なぜ役立つのか、なぜ売れるのか」というメッセージを引き出す、といった場で必然的に社内のキーパーソン全てと密接に仕事をすることになります。それを繰り返して行く中で、結果として自分が会社全体の活動を俯瞰的に把握できる「情報中枢」や「調整役」、あるいは「会社組織の繋ぎ手」といった存在として、仕事の成果物(分析結果や資料)に加えて「経営へのインプット」を行うことが可能になり、価値を出す事ができるようになったと思います。

加えて、自分の中でも、こうした仕事に対する自覚や姿勢も当初の「上からの指示に従って」昔取った杵柄(付記5)のエクセルやパワーポイントのスキルを駆使して取り組む「担当者」の姿勢から、まず人が入れ替わる中でまず「誰もイニシアチブとらないなら自分がやらなきゃ」と考えはじめ、そしてCEOと二人三脚で何度にも及んだ資金調達や様々な経営上のハードルを越える中で「これは自分のような『ものの作り手』ではない者が会社作りに最も貢献できる分野だ」という自覚に変わって行き、最終的には二回目で書いた"Builder"が「自分の仕事である」という意識に到達したのだと思います。

こうして言葉にしてしまうとどうしても口幅ったくなってしまうのですが、こうやって自分の仕事内容と自覚をレベルアップした結果、CEOの副官・主席補佐官・側用人のような役割、そして資金調達の実務担当、という経営トップにごく近いところで仕事ができるようになったわけです。

上に「資金調達の実務担当」と書いたことについてここで書き添えておきたいですが、投資家に会社の将来性いを売り込み、条件の交渉をするのはCEOの仕事であって、自分が行っていたのはそうした「売り込み・交渉」にCEOが十二分の準備で臨めるようサポートする様々な(経営モデルや資本構成表のシミュレーションなどの)分析やビジネスプランのプレゼンテーション資料作り、投資家が投資実行前に行う会社の「精密検査」であるデューディリジェンス(due diligence、付記6)の会社側窓口、投資実行時に弁護士が作る契約書のレビューと編集、既存の株主との事務上の様々なやりとり、といった仕事でした。ですので自分で「お金を集めた」とは口が裂けても言えませんが、CEOと二人三脚で「お金を確保してきた」とは言っても良いでしょうか。

そしてDirector of Finance & Operationsとして入社した自分でしたが、こうした仕事内容の変遷を後から追うような形ではあったものの昇格もさせて頂き、退職時にはVice President, Corporate Finance & Business Operationsという肩書になっておりました。

肩書が「格上げ」されたこと自体にはさほど意味はない、などと言うつもりは毛頭無いですが(普通に喜んでました)自分にとって最大の「成果」は総計数千万ドルに及ぶ幾度もの資金調達を手がけたこと、様々な課題を乗り越えて会社をゼロから「売る製品がある」段階まで発展させたことであったと思います。

以上長くなりましたが、5年半の間の「自分の変化」について一通りはカバーできたと思いますので、今回はこの辺で。毎度のことですが、乱筆乱文はお許し下さい。

そろそろまとまって書けるネタも無くなって来たような気がしてきましたが…。

  1. 英語ではCapitalization (Cap) Table。単純に説明すれば、普通株(株式公開前のスタートアップの場合、通常は従業員が持つ)、そして優先株(ベンチャーキャピタルは通常こちらを保有、普通株に比べ色々有利な条件が付いている)、及びストックオプション・ワラント等の発行残高を記録し「誰が発行済株数の何%を保有しているか」という会社の資本構成を表示するものです。資金調達交渉というのはこの%を巡る駆け引きである、と言うことも可能。投資家への報告情報としては、財務諸表と同じか、あるいはそれ以上に重要なものです。私はストックオプション発行、発行枠管理等の株式報酬関連の事務も併せてやっていました。
  2. 会社の事業計画に基づき、売上やコスト(人員計画も含め)、設備投資等に関する様々な数値をインプットとして、財務諸表を計算するモデル。通常はエクセルで作成。
  3. 当社では財務会計(Accounting)のfinanceと区別つするため、Corporate Financeという名称を使っていました。
  4. 銀行やリース会社との取引、オフィスを借りる際、役所からなにがしかの認可を受ける際にもこうした資料を求められることがありました。
  5. 経営コンサルタントの時の訓練と自学自習が生きました(笑)。
  6. デューディリジェンスについてはこちらを参照。

Friday, April 6, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 4)

前回前々回の2回では自分のいた会社について科学面・医療面の話を中心に書きましたが、今回から自分がそこでどんな仕事をしてきたか、について書いてみたいと思います。

どんな会社であったかについて過去2回長々と書いたことを読み返して頂くのも何ですので、ここからは「米国だけで数千万人規模の患者からなる市場をターゲットとした、『血中の特定のタンパク質の濃度を測定することにより数年以内に心臓発作を起こすリスクを算出する診断テスト』を生化学と統計的データ分析を駆使して開発する会社」であるとご理解された上で読んで頂ければ幸いです(いささか自虐的ですかね…笑)。

まずは入社した経緯ですが、さかのぼれば2006年の春、ビジネススクール卒業10周年のリユニオン(同窓会)での同級生との会話が発端でした。その時、私はそれまで勤めていたスタートアップ会社(付記1)をその前の年の秋に辞め、知人のコンサルティング会社の手伝い等しながら次の機会を伺っていました(平たく言えば無職で、現在と同じ状態、ということです)。そのインド出身の同級生は卒業後コンサルティング会社に入り、MBA前は薬学博士であった、という経歴を生かして医療市場でのコンサルティングに特化し、大手バイオテクノロジー企業での提携・買収担当業務を経た後、移植の拒絶反応の有無を判定する診断テストを作るスタートアップの創業チームに入り、CFOをやっていた、という人でしたが在学中から全く異なるバックグラウンド(日本の銀行員)の持ち主である自分となぜか親しく、卒業後も間隔を置いてですが、交流が絶えなかった相手でした。

このリユニオンの席で会ったのは久しぶりぐらいだったのですが、そこで彼はつい最近CFOを兼任するCOO(付記2)として入ったという創業間もない「心臓病の診断テスト」の会社とその有望さについて熱く語っていました。それを聴いて(2人とも呑んでいる状態であったこともあり)割と軽い気持ちで「何か自分に向いた仕事できたら声かけてよ」と言ったのですが、その後6年近くどっぷりと過ごす仕事に繋がるとは全く思っていませんでした。

上で「軽い気持ち」と書きましたが、そういう言い方になったのには理由がありました。当社のようなライフサイエンスの会社、それも立ち上げ・技術開発段階にあるスタートアップの場合、雇われるのは医学や化学分野の大学院で学位を取った(付記3)プロフェッショナルが殆どで、自分のように大学は経済学部で、その後の仕事も「ビジネス」以外はやっておらず、最高学歴はMBA、という人間は入ってもあまり価値を出せない(身も蓋もない言い方をすれば「役に立たない」)、ということを理解していたため「何かあっても先々の話だよな」と思っていたのです。それこそ「日本出身」であることに何の意味も無い職場になるわけでしたし。

ところがリユニオンから一ヶ月ほどたったある日、この友人から「こないだの会社、君にやってもらえそうなポジションがあるんだけど、一度チームの皆と会わないか」という電話がかかってきました。そしてその数日後に当時借りていたパロアルトの月貸しオフィスまで出かけて行き、創業者の一人で、会社ではCSO(付記4)あるスタンフォードの医学部の研究者と、社員第一号のバイオインフォマティックスと統計担当のVP(付記5)、そしてパートタイムで参加し、その後フルタイムで入った規制担当のVPといった面々と2時間少々をかけて面談、ということになりました。この時点ではCEOはおらず、経営陣全員での合議制、といった感じでした。

当日の面談でどんな話をしたのかは今となって忘れてしまいましたが、いわゆる「採用面接」にありがちな質疑応答的なものではなく、自分のそれまでの経験を説明しつつ、先方の経歴や新しい会社での仕事を聴きつつ「通常の世間話よりは少し突っ込んだ話をする、といった感じでした。テクノロジーと医療に与えるインパクトの説明だけを聴かされているうちに時間が来た、という相手もいました。そして、同じ日、それどころか帰りの道すがらにまた同級生から電話がかかって来て「オファー(雇用条件の提示)出すことになったけどいつから仕事始められる?」となったので喜びつつも「こんないい加減で良いのかな?」と思った覚えがあります。

自分が上に書いたようなハードルにも関わらずに採用されたのは同級生の存在も当然あったのでしょうが、それだけで雇う訳はもちろん無くて「科学や技術の専門教育は受けてはいないが『何が優れているのか』『どういう市場が考えられるのか』『どんな資源が必要なのか』といったポイントを把握することはできるし、財務や法務といったビジネス周りの知識は抑えているし、スタートアップで泥臭い仕事した経験あるし、ビジネススクール出てるし…」といった最低限の安心感を与えるような会話ができたから、と思っています。面接履歴を残すような体制は当時はなかったので、その後確認したわけではありませんが(笑)。技術開発に直接関わる仕事でもないので「ベストの人材」でなくてもとにかく動かさないと始まらないのである程度使えそうで、すぐ始められるなら雇おう、という判断が面接する前からなされていたのかもしれません…というのは自己卑下が過ぎるでしょうか(笑)。

思い起こせば、自分はビジネススクール卒業後に就いた職のうち、これまで「求人広告に応募して、型通りの面接を受けて」入ったのは卒業直後の経営コンサルティングの仕事だけで、その後は知人や元同僚に誘われて「試用期間」的フェーズを経たりしつつ、気がつけば最初に雇われた仕事の枠をはみ出して自分の立ち位置を何となく築いてしまう、という形での「入社」ばかりだったようです。ただ、スタートアップの世界、それも創業段階の会社という場においてはむしろこういう「繋がりベース」の就職は人の採り方としてはコストパフォーマンスの良さ故、わりと普通だとは思いますが。

そんないきさつで4人目の正社員としてまるで潜り込むかのように(笑)入社したわけですが、そこで就いたのは財務・総務・労務(付記6)・そして一般事務という会社のビジネス周りの実務(オペレーション)の「実行部隊長」とでも言うべきDirector of Finance & Operationsいう仕事でした。その後「部下」も雇いましたが自分の専属ではなく上記のCOOやその後雇ったCEOと共有のスタッフ、といった感じでしたので、結局5年半の間「一人オペレーション部隊」であったと言えるかもしれません。別の見方をすれば、専門家集団である他の社員がそれぞれの分野に専念できるような舞台を作り支えて行く「裏方の長」であった(付記7)、と言っても良いのかもしれません。

この「裏方の長」的な役割がその後5年半の間に変化して行ったのですが、長くなりましたので今回はこのへんで…結局、入社周りの話ばかりで終ってしまいました。
  1. 医薬品企業に対し市場調査を中心としたウェブを活用したマーケティング関連サービスを提供する会社。その前に勤めていた経営コンサルティング会社の同僚が起業したところに参画し、他企業との提携関係作りや、インキュベーション施設から独立してオフィスとオペレーションを立ち上げる、といった遊軍的業務を担当していました。
  2. こうした略称に馴染みの無い方もおられるといけませんので、とりあえずCEO = 最高経営責任者、経営方針と戦略を担当、CFO = 最高財務責任者、会計・資金調達・事務オペレーションを統括、COO = 最高執行責任者、日常業務の執行を統括)、とご理解下さい。こういったCで始まる経営上層部をC-Levelと呼ぶこともあります。
  3. 「最低学歴が博士号」という状態も普通で、当社でも入社した後しばらくは「社内一番の低学歴は自分だ」という冗談を言っておりました。
  4. CSO = Chief Scientific Officer、最高科学責任者、技術開発のトップ。同じくC Level。
  5. VP = Vice Presidentですが「副社長」と訳すとどうもぴんとこないので以下VPで通します。ある事業分野の執行面のトップで「取締役(あるいはC Level)」の一段階下、とぐらいにお考え下さい。
  6. 本来はHR = Human Resourcesという「人的資源」なのですが「人事」とするとこれまた意味あいが違ってくるので「労務」としておきます。
  7. 当時はいささか自嘲的ではありましたがMaster of Everything Else (that's not medical or science) 「=(医学と科学以外)なんでも抑えている」と自称し、LinkedInの自己紹介でも使っていました。

Friday, March 30, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 3)

少々間が空いてしまいました。過去5年半のスタートアップ体験、前回は「どんな会社で働いていたか」を専ら医科学的背景を中心に書きましたが、今回もその続きです。

ここで少し立ち戻った話から始めさせて頂きますが、この「どんな会社」というのは親族、友人、知人にもこれまで当然訊かれてきたことですが(この4〜5年懇意にさせていただいた方に「今回ブログを読んで初めてどんな仕事をしていたか知った」と言われたのは汗顔の至りですが)、そういう場でまず訊かれることは「日本(起源)のベンチャーなのか?」「バイオテクノロジーの会社なのか?」でした。この2つはこのブログをここまで読んで頂いている方もおそらく訊きたい事なのではと思うのでここでお答えしておきます。

まず「日本(起源)か否か」ですが、日本には全く関係の無い会社です。前回も書きましたが、創業チームは全員スタンフォードの医学部出身、基礎テクノロジーも米国政府から委託した研究プロジェクトから派生したもの、資本も全て米国のベンチャーキャピタルから、そして当面は日本はおろかアメリカ以外の市場への進出予定は無い、といったこの上なくアメリカ基盤のスタートアップ(ベンチャー)です。その中で、日本出身者であること・日本語が話せる事とは全く無縁の仕事をしていました。

次の「バイオテクノロジー(以下「バイオ」)の会社か」ですが、これはバイオをどう定義するかにもよるのですが、当社は「ライフサイエンスないし医療業界」の「診断テスト」の会社ではあっても所謂遺伝子の働きそのものを操作して医薬品を作るという狭義のバイオ企業ではありません。しかも前回も書いたように当社のテクノロジーというのは単独のDNA/RNA/タンパク質といった人体の状態を示す化学物質(バイオマーカー)を検出する、あるいは多いか少ないかを測定して病気か否かを判定する、というアプローチではなく、そしてまた検出のための試薬や装置を売るのでもなく、複数のタンパク質の血中濃度の「(健常者と発病者の間の)違い」により示される心臓発作のリスクをスコアとして表示する統計的アルゴリズムを作る、というものです。

換言すれば血液から得られる「タンパク質濃度」というデータにITを駆使した統計分析を適用し、生物学・医学的な意味のある情報(=心臓発作のリスク)を抽出する、というのが当社の狙い、ということになります。そういう意味では当社は「バイオインフォマティックスの会社」であった、と言っても良いかと思っています。実際、当社の技術開発チームはタンパク質の専門家と、統計・データベース・プログラミングの専門家から構成されていました。

いささか背景的な話が長くなりましたが、ではそんな当社で作っていた「心臓発作のリスク判定テスト」、会社を起こし(巨額の)お金を集めるからには製品としての「価値」が無ければ成立しないわけですが、それがどういうものであるかについて書いておきたいと思います。

なお、上記事情に基づき、医学的な話はアメリカにおける状況を踏まえたものに限らさせて頂きます。また、あくまでも以下の説明は「医学の専門家ではない」私の知識と理解に基づくもので、単純化が行き過ぎているかもしれません。その結果生ずる誤りや説明不足な点は全て私の責任です。

現在、医者が冠動脈の動脈硬化起源の「心臓発作(前回に引き続き心筋梗塞and/or狭心症とお考え下さい)」を起こすリスクを判定する際には性別、コレステロール値、血圧、年齢、喫煙の有無、といった「危険因子」により計算されるフラミンガムリスクスコア(以下「FRS」、アメリカはマサチューセッツ州のフラミンガムという場所の住民を対象にした数十年にわたる健康調査から導出されたものでこの名前があります)、あるいはそれに高脂血症や糖尿病の有無、家族の病歴といった要素を加えた派生的な手法が専ら使われています。これは生活習慣病やメタボリックシンドロームといったものが動脈硬化そして心臓病の背後にある、という研究成果を踏まえ、有効性も実証されている手法ですが、そこから得られる結果は上記の危険因子の有無をもって「10年以内に心臓発作を起こすリスク」を「高(20%以上)」、「中(10-20%)」、「低(10%以下)」という3つのカテゴリに分類するものです。乱暴な言い方をすれば医者はこの結果を診て患者に「あなた危険因子が多い(少ない)ので注意が必要(そんなに注意しなくて良い)ですよ」と言うわけです。

このFRSが主流となっているところに新たな診断テスト(以下「新テスト」)を開発して売り込もうという当社にとっては新テストがFRSより「優れている」ことを実証しなければならないわけです。科学的には当社の新テストは前回説明したように「いつ剥離するかもしれない冠動脈内の不安定なプラーク形成」という心臓発作の直接的原因に基づき「近々発作を起こす」リスクを数値化するものなので「危険因子(=病気に繋がる要素)」の有無により「いずれ心臓発作を起こすかもしれない」という結果しか示さないFRSに比べれば「科学的に優れた」ものである、と主張できるわけですが、それだけでは製品として、会社として成立しません。

実際に医療の現場で数多くの患者に使ってもらい、そして医療保険(民間保険会社とメディケア等の公共保険)からのReimbursement(「償還」と訳されることもありますがここでは簡単に「保険支払」とします)を受けられなければ、売上げも収益も立たず、金銭的な企業価値を上げて投資家を満足させるようなリターンを得ることが出来ないのです。

では新テストが「使ってもらえる」そして「払ってもらえる」ものになるためには何が必要かと言えば、「臨床価値」と「経済価値」(これら用語も当ブログで便宜上採用しているものです)を示す、ということになります。

より具体的に言えば、まず臨床価値は「新テストにより医師の診断・治療行為がどう変わるのか、結果としてどれだけの患者がより適切な治療を受け心臓発作を回避できるのか」ということになります。当社新テストの場合、単純に言えば「FRSでは現状見逃されている患者を発見し、薬品を処方する等して発作の可能性を下げる事が可能となる、その対象は年間X万人であると予想される」が臨床価値である、ということになります。

経済価値は、これは当然臨床価値なくしては成立しないのですが「新テストの導入により導入前に比べ一起きれば一回Y万ドルの緊急手術を必要とする心臓発作が年間X万回回避された(本当は死亡した患者のコストや、発作→手術以外のケースも考慮しないといけないのですが、ここでは単純化しています)。代わりに処方した薬品のコストを差し引いても、新テストはヘルスケアシステム全体からZ億ドルの支出削減を可能とするので、テスト一回あたりの価値はこのぐらいある」ということになります。誤解の無いように書いておけば、実際にはこうした計算で診断テストの保険支払額は決まらず、既存の他のテストとの兼ね合いや個々の保険会社との(しばしば政治的な)交渉次第なのですが、こうした議論ににより「価値の上限」を主張している、とお考え下さい。

なお、上でXやらYやらばかりで具体的数値が書かれていないことが物足りないかもしれませんが、この辺りの数字はまだ進化中なので明言を避けさせてください…。ただ、一応規模の見当をつけて頂くという意味で申し上げれば、この「新テスト」の潜在的対象となる患者は年間で最大2,100万人であると推計されています。これら全員にテストを適用するわけではないにせよ、ベンチャーキャピタルから数千万ドルの投資を受けることができる程度には大きい市場を狙っていた、ということが伝われば何よりです。

今回、実は書いていてどこまでこうした話、しかも諸般の事情により「ぼかし」の入った内容になってしまったな、と思っているのですが「どんな会社でどんなものを作っていたか」は多少ご理解頂けたでしょうか?

あと何回書くのかはわかりませんが(そんな長期連載にする予定はないです)、ご質問・フィードバック、よろしければお寄せ下さい。

お会いしないとお話できないこともあるかもしれませんが(笑)。

Monday, March 19, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 2)

過去5年半のスタートアップ創り経験を振り返りつついろいろ書いてみよう、という趣旨で前回より始めた次第ですが、今回はまず「どんな会社にいたのか」について書いてみようと思います。

その前に、ここで前回書き損ねたので一つ申し上げておけば、私はこの会社(以下「当社」とします)においては自分のアイディアやテクノロジーを自ら世に問うてやろうと会社を起こした「創業者」ではなく、あくまでも経営陣の端くれとして雇われた身でしたので自分の事を「起業家」と称するのはいささか面映いものがあります。ただ、会社の実際の事業オペレーションを一から立ち上げた当事者であったのと、また後述(の予定)ではありますが創業チームのメンバーが全て会社から離れた状態を継承し現在の経営陣にバトンタッチするまで、ビジネスとしての暗中模索期を乗り越えたという体験をしているのでいわゆる「雇われマネジメント・エグゼキュティブ」よりはかなり「身に迫る」体験をしております。

そういう意味では以前どこかで書いたかお話しした、スタートアップの発展段階に応じた適材適所的人材区分けで言えば、会社を起こす「創業者(Founders)」とある程度会社・ビジネスとしての「器」が固まってからの運営をする「経営者(Managers)」の間にいる"Builders"(うまい訳語が思いつかないので敢えて英語のままとします)という立場であったのだと思います。このブログの記述はそういう視点から書かれている点ご了解下さい。

では本題ですが、この私のいた会社、一言で言えば「心臓病の血液検査による診断テストの会社」です。前回入社時点で「自分以外は皆創業メンバーと言ってもよい会社に入りスタンフォード大学医学部での実験結果の他にはとりあえず投資を受けたお金があるだけ、という状態」であったと書きましたが、この実験結果というのは創業メンバーであった同大学の心臓血管病の研究者3名がアメリカ政府から巨額の助成金を受けて数年間取り組んで来た「動脈硬化に由来する心疾患と遺伝子の間の関係を探る」という大プロジェクトの中の一つのテーマであった「冠状動脈における炎症に由来するタンパク質と虚血性心疾患の関連性」に関するものでした。

ここでまたお断りなのですが、科学者でもなければ医者でも無い私がこうした医学に関する解説を行うことにはいささか無理があるのは百も承知です。ですので、ここから先の記述は同社でさんざん試行錯誤しながら作ったベンチャー投資家を始めとした社外のオーディエンス向けの資料や「エレベーターピッチ」といった「会社のセールスポイント」といった科学上は決して厳密ではないが「何が売りなのか」を説明するレベルの情報である、とご了解下さい。

一口に「心臓病」と言っても、その中には様々な病因そして発病形態を取るものが含まれているのですが、当社の取り組んでいたのはその中でも心臓そのものの筋肉に酸素と栄養を含んだ血液を送る冠動脈(Coronary Artery)に起こる動脈硬化が原因で起きる心筋梗塞、あるいは狭心症、総じて言えば俗にいう「心臓発作」の起きるリスクの判定です。

動脈硬化が進むと、冠動脈の内壁にコレステロール等の脂質、あるいは老廃した細胞から構成されるドロドロしたおかゆ状の物質(アテローム)の固まりである「プラーク」が形成されます。このプラーク、もし血管の内側に付着したまま落ち着く類いの「安定した」ものであれば血管を細めては行くものの大きな問題にはならないのですが、もしある日プラークが固まりとしてごそっとはがれてしまうような「不安定な」ものだと、そのプラークの固まりの周囲に血液が固まって(血栓ができて)冠動脈を塞いでしまい、心臓を動かしている筋肉に酸素と栄養が行かない、という状態に至ります。

上の血栓が小さかったりすぐ分裂して心臓筋肉に酸素と栄養が行かない状態が一時的であれば「狭心症」で、これもものすごく苦しいものですが、もし血栓により冠動脈が完全に閉塞し、心臓に酸素と栄養の行かない状態が続くと心臓筋肉が壊死する「心筋梗塞」となります。これはまさに心臓が正常に動かなくなってしまう、あるいは止まってしまうので、早急に治療しなければ死に至る、治療してもその後いつ動かなくなるかもしれない心臓を抱えてしまう病気です。

当社の創業チームが得た実験結果、というのはこうした狭心症や心筋梗塞が比較的近い将来に起こるリスクを血中の特定のタンパク質の量を測定することにより測定できる、という仮説をサポートすものでした。もう少し詳細に説明すれば、冠動脈の動脈硬化のプロセスは血管細胞が遺伝や生活習慣といった要因により炎症を起こし、その炎症が進んだ結果上記のプラークを形成するのですが、炎症を起こした細胞(この議論ははしょりますが、細胞=タンパク質を生成するエンジン、とお考え下さい)から生成されるタンパク質の構成比率は健康な細胞とは違ったものとなってくるので、心筋梗塞や狭心症(いわゆる「心臓発作」)を起こした人と起こさなかった人の血液に含まれる特定のタンパク質数種類の「量の違い」を統計的に解析し、アルゴリズム化する事により心臓発作のリスクを判定するテストができるのではないか、という仮説を裏付けるデータを得たわけです。

言わずもがなかもしれませんが、アメリカというのはいわゆる心臓病、それも上記の冠動脈硬化由来の「心臓発作」により死に至る、あるいはヘルスケアシステムに多大なる負担をかけている患者が極めて多い国ですので、そうした疾患研究の最前線にいる研究者としてはこれは医学への貢献もさることながらビジネスとしても極めて大きなものになるので「これは起業しよう」ということになったわけです。

…と当社の創業に至るサイエンス的背景話をしているうちにずいぶんと長くなりましたが、実はこうした話を日本語でまとまった形で書くのはおろか、話すことも実は初めてです。そういうわけですのでいささか書くのにいつもよりエネルギーを要しておりますので、今日のとことろはここで一旦お休みさせて頂きたく思います。

なお、このブログについては従前通りご質問やご要望等ございましたら、コメント欄にその旨書いて頂ければ可能な限り対応します。また、この話題で書いて行く中で、一度Q&Aめいた「回」(って、いつから連載になったんでしょうか)を設けるのもありかな、と思っています。

そして最後は一応ディスクレイマーなど。

本稿における記述、特に科学や医療に関するものについては可能な限り専門用語ばかりにならぬよう、そして眠気を催さぬよう平易に書くよう勤めて行きたいと思いますが、その結果「正確さ」を欠くものとなってしまう可能性があります。そうなった場合、その原因は筆者である私の知識と理解不足であり、自分の所属企業や文中に出てくる各団体・組織の事業や研究成果の内容や質とは全く関係の無いものです。

ではまた!

Saturday, March 10, 2012

7.1.2006 - 1.31.2012 (Part 1)

唐突ではありますが、2012年1月末をもちましてこの5年半勤めた会社を退職しました。

2006年7月に殆ど面接らしい面接もせずに4人目の社員、自分以外は皆創業メンバーと言ってもよい会社に入りスタンフォード大学医学部での実験結果の他にはとりあえず投資を受けたお金があるだけ、という状態で入り、そこからちょうど5年半。

そんな何もないところからパロアルトの町外れに会社としてのインフラを立ち上げ、人も雇い、また資金を調達し、そして実験結果が思う通りに出ず、結果製品コンセプトはおろかビジネスモデルの転換を数回行い、人は切り(あるいは去られ)投資家を説得して何とか資金を切らさぬようにし、削れるものはとことん削る、といった状況のまっただ中で過ごしてきました。そして昨年(2011年)早々にようやく売る事の出来るものが出来あがったわけですが、今度はそれを販売して行くための数千万ドル単位の拡張資金の調達に取り組み、紆余曲折を経た末に投資契約の調印に至ったのが12月。それから2ヶ月間事後処理と自分の仕事の引き継ぎをして1月末に自分と会社の「双方合意」で退職、となった訳です。

いささか乱暴ではありますが、この経験をいくつかのキーワードでまとめてしまえば「5年半、4千万ドル、CEO三人、会社は潰さず、新製品を核に事業化」ということになります。自分はそのまっただ中で、しかも結果的にではありますが会社全体を見渡す事の出来る、ファイナンスを含んだビジネスオペレーション面の責任者、という立場でCEOの副官的に仕事をしてきました。

その間、ブログでは料理の写真やレシピ、ワインの話そして映画の感想といった話ばかり書いて来たわけですが、裏(表?)ではこんなことに関わっておりました。飲み食い遊んでばかりいたわけではありません(笑)。

これを書いている時点で退職してから一ヶ月と少しがたったわけですが、目下「浪人」あるいは「充電期間」という状況です。ただ、以前Facebookでも書きましたが、5年半常に頭と身体のどこかが「会社モード」に入りっぱなしだったので一度放電し切らないと再充電できないかな、と思っております。ですので、正確に言えば今は「放電期間」というのが正しいかもしれません。

そんな状況ではありますが、この機会に、自分が5年半どっぷりと「シリコンバレーの会社作り屋」をやっている間についつい交流を疎かにしてしまった多くの人々、特にかつて私のブログを読んで頂いていた方々と、旧交を温める意味で、そして若干の謝罪も兼ねて、自分の「会社作り」経験とその過程で得た「学び」につきこれから何回かに分けてこのブログで共有したいと思っています。もちろん良識の範囲内で、守秘義務に従いつつ書きますので「生々しさ(生臭さ?)」にはいささか欠けるとは思いますが、どうかその点はご容赦を。退職前にCEOからはこういう形で書く事については口頭で許可を貰っております。

思ったよりこの前置き、長くなってしまいましたが、とりあえず今日はこの辺で。「不定期連載」になってしまうかと思いますが、皆様にまたおつきあい頂ければ何よりです。